農家の嫁

 妻が、わが家で初めて農業をしたのは、稲刈りの四隅刈りと稲穂拾いだと思います。稲の仕事は、たぶん私自身も、30キロのもみ袋を軽トラックで運んだり、カマで刈った稲をコンバインに入れていく事しかさせてもらえなかったと思います。

 我が家は私達夫婦、子供2人、両親と祖父の7人で、トマトとキュウリを生産直売する農家ですが、私自身は、農民でありながらここ10年以上田植えは父親任せでやっておらず、皇族の方々を見習わなければと反省しております。もちろん、経営としては、トマト、キュウリの直売がメインなので、田植えに手をかけられないと言う理由もあります。

 ところで、最近もてはやされている「有機農業」も、父親の世代では当たり前のことでした。農薬も化成肥料も充分でない時代の中で、最も少ない資本で最大の効果をあげようとする先人の知恵には、科学万能の今日でも頭が下がる思いです。一方、現在では循環型の有機農業は忘れ去られ、宗教的農業や金食い虫的農業になってしまいました。

 「家族」もまたワンウェイ独立型が増え、孫、子供、おや、祖父母と進化(老化)し続け循環し、運命共同体として栄枯盛衰を繰り返す1つの有機体としての形態が減りました。
 しかし、農家の現状は時代と逆行する「大家族」です。ここに、農家が嫌われる原因の1つがあります。しかも、古い因習と多くのしがらみが残り、個人の主体性ややる気をそいでしまう所にあります。

 誰もが舅や小姑の立場でもあるのに、それを忘れてしまったり、被害者意識ばかりが強くなったりします。「自分がさせられてきたから次の人にもさせる」発想ではなく、個性を伸ばし次代に受け入れられる生活態度が必要ではないでしょうか。本当に報われるべき人が、報われるような行動をまず自らがはじめるべきではないでしょうか。同じ生活環境の中で、違う価値観を認めていくことは大変なことです。しかし、それを認めていくことが、煩わしいしきたりを楽しい行事にする事ができ、農家ならではの大家族の良さも伝えられるでしょう。

 仕事場と家庭の区別が、はっきりしない農家。そのために二重の負担をし、しかも一生懸命に仕事をやっても手伝い程度にしか評価されない農家の嫁。そのお陰(?)で、給料制の我が家でも、男である私は優遇されています。

 職住同一について更に付け加えれば、「生活・余暇の時間」を協調関係の遡上にのせるべきでしょう。
 「仕事としての農業」に女性が進出して男性と同じように評価されるという事も大切ですが、「仕事以外の農業」、つまり生活や余暇の時間をどれだけ共有できるのかが、大切ではないでしょうか。
 我が家の仕事、トマトの直売は3月から7月まで、1日の休暇もなく5ヶ月間続きます。特に春休みやゴールデンウィークあけの、子供たちがいただくお土産は、ストレスを増加させます。その解決法が、我が家では夏と冬の、夫婦や家族単位での旅行です。合い言葉は「家族が元気なうちに出掛けよう!」です。

 また、私達夫婦は、7組の農業仲間と週1回バドミントンをとおして、農業だけでなく地域のことや家族のことを話し合います。特に、女性達は「農家の嫁」として、お互いに理解してもらえなくとも聞いてもらえる関係を作っています。お互いがひとの心の手助けになる。支えあえる立場にあることを確かめあえることが、一番大切ではないでしょうか。週1回のバドミントン、単に男や女としてでなく1組の夫婦として農家ゆえに持つガス抜きだけでなく、私達夫婦の救済機関でもあります。

 家族は嫁や舅、子供や孫の寄合所帯というより、生活空間を共有する個々人の共同体です。しかも仕事と生活が一緒で、四六時中顔を合わせていなければならない農家にとっては、時間をも共有しているのですから、夫婦、親子、世代別などの互いの関係が相乗効果を作り出すチャンスであり、家族としての能力も高まるのではないでしょうか。子育てや介護など今後ますます増えるであろう負担に法律や制度の不備を問う前に、この意識の違いを家族の中で改善しなければとも思います。

 今年も小さなコンバインで稲刈りをしました。今も四隅刈りから、稲刈りははじまります。

「農山村女性の集い」記念誌(農山村における男女共同参画に関する論文コンクール)1998.1.


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