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鎮守様
全国の神社は大別して、その部族すなわち同一氏の祖先神を祀(まつ)る氏神と氏神とは異なり多くの地域にあるその土地の産土神(うぶすなかみ)と言い、その土地のいわれを持つ鎮守様と称されその地の民衆を守護し崇敬を集め詣らせてきたと言われる。

上野の鎮守様のご祭神は、
岩槻市史によれば、天穂日神 アメノホヒノカミ とされています。

しかし、別説では 大己貴命(神)
 オオナムチノミコトともいわれています。
 大穴牟遲命(大口主神)。
 神代の出雲の主神、
素戔鳴尊スサノオノミコトの子もしくは六世の孫という
少彦名神
すくなひこなのかみと協力して天下を治めまた禁厭、医薬等を教え国土を皇孫瓊瓊杵尊に譲り出雲の地に隠退した。出雲大社に祀られる。
  
少彦名神
(スクナヒコノカミ)
 神産巣日神
カミムスビノカミの子。親神の指の間からもれ落ちたという小さい神様。大国主神とともに国作り山作りに励んだ。
 最後は、栗の茎に昇り、弾かれて常世の国へ行った。

創建:天正十八年(岩槻城落城と同年)。現建造社は万延元年(史料あり)
氏神:藤原氏を祀る春日大社、平氏の厳島神社、源氏の八幡神社。

大己貴命・少彦名神の神々は相互に協力し、日本国の国作り、すなわち古代日本の形成開発に携わり、日本国古来の産土神(ウブスナノカミ)の先祖先達といわれるが、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に国を譲り撤退したといわれる。その際、諏訪大社の祖神である建御名方命(タケミナカタノミコト)は、国譲りを反対して諏訪の地まで退き、最後は皇孫に国を譲り従ったと言われる。

参道も今は市道になった。
幻の神明社
古書式は市史に基づく上野には鎮守として
鷲宮神社 祭神:天穂日命
神明社   祭神:天照大御神(アマテラスオオミカミ)、伊勢神宮
住吉社   祭神:底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神  住吉大社
氏神様は氏族の由縁の祖先、鎮守様は土地に縁のある神あるいは自然神。
史伝には神明社の記載があるが鎮座されていた場所が判然としない。おぼろげながら鷲宮神社北の北西に奉祀されていたらしい記録を見た記憶がある。

そこはタカゲの台地になる。現在は台地が藤倉ゴム工業の敷地として削り取られ、下の水田だった所も埋立てられて昔の状況を推し測り考えることは難儀となったが、台地西南その上割道(かみわりみち)の北辺が通称三番目と言われてきた。

私見であるが、一番目は神明社、二番目はその周辺、そして三番目が低地になったと思われる。

鷲宮神社
タカゲについて
タカゲは「鷹向」に由来するのか、かつて鷲や鷹の猛禽の住家だったのか。
古伝によると同台地にはタカゲ山○○寺という大きな寺院が存在した。寺には侍僧あるいはあまたの僧兵を擁する巨大勢力の存在があった。

その大人数の米の研ぎ汁が流れる様を以って白水耕地と名付けたと言う。現在も古ヶ場白水耕地の称がある。

タカゲは台地で昔は大きな山林であった。之を後世に至って開墾し、北西の風をまともに受け冬場強風の時には軽鬆土ゆえ飛ばされ表土は皆めくられて播種した麦まで飛んで収穫皆無に近い不毛の土地であった。

北東斜面の農道西側は幾分両面傾斜で風を防ぎ生育は良好であった。
この土地は古代より開かれた真中辺りに小塚があり、その周辺から石塔婆を発掘する。また、藤倉ゴム立地の際、土器・住居跡・竈跡などが発掘された。

此のタカゲより西北に「おしんでん山(御寝殿山:平安朝の寝殿造りを連想させ往古に豪族の住居があったのか)」があり、その手前にはツークン台(通君台?)があり、平安朝の通い婚を連想させる。

       鷲宮神社

白水→台地より石灰分の浸出の可能性も考えられる。
住吉様
かつて、上野3丁目10-20辺りに鎮座申し上げて永らく上野地区民の尊崇を集め守護して参ったが、明治の御一新により一社合祀の政府のお達しに従い、住吉社を鷲宮神社境内西南に併祇し現在にいたっている。

昔の住吉様境内は、戦後の農地解放により民有地となり残念ながらどこにあったか定かではない。

とまれ住吉様は、商売繁盛・和歌の神・学問の神・海路の神として尊崇されてきた。今その尊崇を新たにし信仰を深め、その功徳を求めることが現世の本領だろう。

上野の住吉様も台地に祀られていたが、近隣の花積の住吉様も住吉台の名の通り低地に突き出した高台(現在はだいぶ変貌した)に鎮座していた。
 古代、低地部は奥東京湾といわれ海だった。海産物や沖での作業の安全・加護を祈って、突き出た舟の見える場所に住吉様を祀ったと思われる。

元荒川は現在の荒川の本流で、名前の通り暴れ川であった。
昔は足立の台地から花積台地まで、雨季ともなれば元荒川流域も海のようになった。足立より慈恩寺観音に参詣する通路に「御厩の渡し(おんまいのわたし)」があった。一度参詣人を乗せた舟が皆沈没遭難したと慈恩寺縁起に記されている。
住吉社は、「住吉さん」と愛称されて大阪の大神社である住吉神社が基社であるといわれている。

昔は、中組鎮守としてシムラ運輸辺りに置かれたが、明治初年一村一社令で現在の地に移された。社地は一反余あったが農地解放で売渡された。

          住吉様

この両金山堤は平安時代の堤であり、鎌倉時代に義経、弁慶が奥州へ通ったと言われている。大光寺(長宮)に弁慶の負ひ籠が残されていると言う。
稲荷社様
鷲宮神社境内に向かって右側(東側)にある。
稲荷社は京都伏見稲荷大社であり、全国の神社の三分の一は稲荷神社といわれる。総計四万社といわれ当地のように併祀されたものを合わせると膨大な数になる。それほど、稲荷様は各地住民の深い信仰対象である。

祭神  和銅4年(711年)奉祀
宇迦之御魂大神(うかのみたま)下社  (中央座)
佐田彦大神   (さたひこ)    中社  (北座)
大宮能売大神  (おおみやのめ) 上社  (南座)
田中大神     (たなか)     田中社(最北座)
四大神社    (しの)       大神  (最南座)
          五十鈴姫(神武天皇皇后)
          大屋姫(ヲヲヤヒメ)
          菰津姫?
          事八十尊(コトヤソ)
稲荷様は、人が生きる上で最も欠くべかざる食、即ち五穀豊穣を祈願する神である。転じて農だけでなく商工でも重要視される。現在は商売繁盛、商工業の社運隆盛を祈願し、また之を守護する神として信仰を集めている。

        稲荷社様
稲荷様に深くかかわる秦氏が古来より機織物にかかわったことから、三井・三菱等、企業の社屋に奉祀されている。
天満宮 天神様
鷲宮神社境内右手。

学問(詩歌書道・受験合格)の神。

当初は自然神であり農耕民族にとっては恵みの雨をもたらす雷神、即ち天の神であった。それがいつの間にか菅原道真公と結びつき学問全般成就の神となったようだ。

当天神様は群馬県の高鳥の天神様を勧進して祀ったといわれ、高島天神講として毎年代参し神札を分与され、各戸が奉祀していた。

天満宮
雷電社
鷲宮神社境内左側、住吉様との間の石祀。

当雷電社は、群馬板倉町の雷電様より勧進したもので、高鳥の天神様同様代参を行い、各戸に神札を分与していた。

農耕に水は欠かせないが、当地のように用水がなく天水に頼る地域にとっては、雨の恵みを願いつつ落雷がないことを願って祀ったのだろう。

近年各講が廃れ式は取り止めとなっているが、「講」そのものの趣旨は空ではなく、昔の人が神に祈り人智の及ばざる神に任せその神託を得て一日一日を過ごしてきた。

一つの石祀にも意味があり、祖先の御心の賜であることをむべ忘れてはならない。

雷電様
猿田彦神
上野の上宿道と古ヶ場下道に通ずる三叉路にある石塔(上野891番地と901番地の間)
「右しのず道」「左しようぶ道」と彫られている。

これは上野野方の一本化した庚申講の講中で、明治年間に建立したものです。此の地は、庚申講員でもあった関根作二家が所有していた時に設置し、分家の宗一家に移り、後中山家所有となりました。

瓊瓊杵尊
ニニギノミコトが降臨の際、その道案内を勤めた猿田彦大神に因み道祖神として祀られてきた。道陸神(ドウロクジン)ともいい、昔の交通案内としての役割もはたした。

猿田彦神