| やまた園芸>郷土史top>諸講中について | |
| 諸講中について | |
| 上野には昔から幾つもの講があり講中が成立していた。 農業が職業の根幹のなしていた時代では、転地自然との共存を計り、結果として自然の恩恵を蒙るのが唯一の手だてであるので「講」と言う組織を作り各社に代参を立てて参拝し、一年の安泰と作物の豊作を祈念していた。 各「講」は講元を立て、世話人として講を組織し各神社と提携連絡を重ね、講中をまとめてきた。 その方法は講員により、その年の三月末。昔は日まで決まっていたが集会所に集まり講員全員で籤を引き当籤人(代参人)を決め、その人が講員に代わり神社に参拝し、神札を戴き地区講中に分与した。 五社五講には代参人二名づつで、毎年十人が参拝した。満講になれば総立ちと称し全員で行くこともある。現在でも上地区で行われている。 籤引きは三月(若しくは25日)で、出立ちは四月〜五月始めと決まっていた。おそらく長い冬が過ぎ、田植えや麦の刈入れ前の大事な農繁時期を迎えるに豊作を祈願する代参であったと思う。 昔は領主代官により、自由闊達に遠出することが禁じられていた。 旅に出るには村役に許可を得、道中手形を申請する必要があった。神事による「講」の手形はフリーパスだったので、代参により他領国の風物に接し見識を深めたと思われる。 |
講=団体 講中=会員 を意味する。 昔の引越し: 昔は他領から移り住むにも制限があった。 上野村には人別帳(住職または村役名主)が住人を把握していた。 新しく住人となるには、人別長に記載されるために何年かの行状監視を行い、辺地に居住を許した。 封建時代、特に徳川家康は一向一揆に手を焼き、また切支丹等宗教による民衆による強固な反体制共同体を蔓延らせぬためにの予防措置であった。 |
| 代参を交代でたてた講 | |
| 大山石尊講(阿夫利神社)雨乞いの神 神奈川県大山(一泊2-3人で後 榛名講 (榛名神社) 養蚕の神 群馬県榛名町には四人で代参) 雷電講 (雷電神社) 雷様雨乞い神 群馬県板倉町(4人で日帰り) 天神講 (学問の神) 高島神社 群馬県高鳥町(近いので連れ立って行った) 秋葉講 火防盗難除の神 さいたま市西区指扇 |
![]() 庚申講の石碑(慈恩寺橋) |
| 伊勢講 上野全員で江戸期より大正まで、特別講組織で行った。 昔は道中物騒だったので水盃をして出発した。 御嶽講 (上)関根光晴邸内に安置せられ代々同家が講元となっている。 成田講 (中)関根貞二、勲家を起源として年四回講を開催し懇親を深める。 庚申講 (里)石碑、慈恩寺橋際。現在も年四回行われている。 庚申講 (上・中)野方有志。今は自然解散状態となる。猿田彦大神の神軸は作二家に保管される。 |
|