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耕地について
沼田耕地 沼田の名のごとく、排水不良で周辺が高く中央部が低いすり鉢状の耕地。中央に沼田掘が流れ、この堀の西側が字六番東が七番と言う。又周辺には6尺幅の道が回っていた。
字六番耕地 元荒川沼:大勧進(ダイカンジン) 慈恩寺領 西里(畑)とともに上野住人が耕作。
       長田(ナガダ)
       通口(ツウグチ)
沼   田:上割
       中割
       下割
字七番耕地 古苗間:表慈恩寺分立野耕地東1枚通り沼田堀際
中  畔:下割道より松山下辻分堺苗寄橋まで。埋墓下
野  付:上野台地下の耕地。沼田より東。
三番目:タカゲ台下。
上割
中割
下割
                     2005年8月上野3丁目8より南を望む
用水は高い所(野付・三番目・中畔)は山の絞れた水を利用した。
沼田耕地の大部分は用水が不要で、他は沼田堀より水車で汲み上げた。
里耕地
長島(中島)

一番・二番・三番
現在の上里地区・一番二番耕地(上里小学校は三番、その西より白光舎まで二番、その西より御成街道までが一番)
全体に固い粘土質で、作業は困難だが肥沃地なので、手入れが届けば単収が多く上野の穀倉地帯である。
用水の便悪く、黒浜沼からの山城堀は距離が長かったため慢性的な水不足であった。ほとんどが畑で、抜き土をして瓦製造に使い水田に転じた土地も多かった。

荒川改修前には、用水不足を補うために荒川湾曲部に取入口を設け(上豊川)、ここに水車5〜6台を並べ交代で水汲みを行った。そのため日を限って植付けし、平野地区や蛭田地区の送水もあり共同連携が重要な作業となっていた。
大正12年元荒川改修に伴い、現在の場所に移り、バチカルポンプ・ヒューガルポンプにと変わった。
長井沼耕地
(四番耕地)
沼田掘を控え、諏訪下耕地の落し水で潤った。
立野五番耕地 御成街道西側の耕地。かつての古道が通り、赤坂団地との堺。粘土質土壌だが元荒川に近いので砂質も含み作業はし易いが排水悪く、陸稲栽培に適していた。