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夏祭り
7月14日の例大祭。
当日は、当番の人数では足りず早朝より大声で上・中耕地内に呼掛け人を集めて、神幟を掲揚するため幟竿を担ぎ上げ、神幟と大榊を麻で括りつけ、これを大勢で引き起こし張り綱を張り作業を終え、柏手を打って解散しました。

幟(のぼり)が張られると祭りらしく感じられ、「あ-、鎮守様のお祭りだなぁ-」と意識を新たにし午前中は仕事に精を出し午後のお祭りを待ち、農事を休んだのです。

田植えが終わり一番草を取り終え二番草であったかの時、畑作では春の収穫後の鍬作業も終わり新小麦を饅頭やうどんとして味わい、農作業を休む。
作業も一安心し秋の収穫を楽しみにする時期に、役員が餅をつき21重ねのお供え餅を作り、各戸はこれを頂く。

夏のお餅神様にお供えした餅は、中気(脳梗塞)の予防として有難く賞味し、明日への希望を持ち神に感謝し、秋への新たなる期待としたのです。
(注:餅と中気について:当時は粗食の時代であり、医学的根拠があるわけではありません)

夏祭りを手伝う女性たち
上野伝統の「三本杵による餅つき」:搗き方
・当番は5人。
・四人が杵を一本ずつ手に取り、二人ずつ臼を中に東西に分かれ二人 杵を身構える。
・二人ずつ分かれたら二人ずつ杵を合わせて臼の中の餅米を力を合わせて双方が押し返す、押しつ押されつ押しくら饅頭を繰り返す。
・この際双方が向き合いで動いてはならない。相互に押し合うだけで立派に米は練れる。
・餅米が練りあがったら四人のうち一人は杵をはなし、搗き水の役目になる。
・三人は杵を手にし臼の周囲を廻りながら臼の中の米を搗く。
・搗くといっても餅搗き踊りといわれたとおり、力はさほど必要なく餅は搗きあがります。最後に大杵で仕上げをします。
・搗きあがったら臼より出し、餅取り粉をかけたこね台に移し、少しさます。
・さました餅の一つは神前に供え、お供え餅とする。
・氏子63名分のお供えを作る。
・参拝者に対する接待用の餅を作り、試食をすすめる。

昔、7月14日。
今、9月第2日曜日。

上野伝統の「三本杵による餅つき」:準備
・7月13日、糯米(もちごめ)の量を計り、これを四斗樽に入れ水に浸す。
・7月14日、糯米を笊(ざる)にあげ水を切る。竈(かまど)に蒸篭(せいろ)を置いて蒸す。蒸しあがったら水洗いした臼に入れる。
秋祭り
秋祭りは10月9日(旧暦9月9日)。いわゆる九日(くんち)。
三大祭(春、夏)の一つで神旗掲揚をおこなう。

昔は6月中下旬に田植えを行い、10月中旬〜11月が収穫期でした。9日頃は早稲の稲刈り期で、農事も一休みの頃だ。上野は水田だけでなく畑作も多岐を極めていた。10月末は夏の畑作収穫と冬麦の作付け、そして水田の稲刈りと多忙の時期であった。その束の間の一日を農休日にし神威を高め、御加護を希ったのだろう。

三九日(みつくんち):
10月19日、29日とあわせ三九日という。
三九日茄子を食べれば中気を病まぬと俚諺(りげん)にもあるが、昔は茄子も珍重されしかも寒かったので10月下旬にはよく大霜となり茄子の実が終わりとなった。だから、寒くならないうちに作業を完了させよとの諺と同義だろう。

子どもたちのおくんち「お篭り(おこもり)」
子どもは長幼を交えて餓鬼大将を長と仰ぎ、上野地内の一軒一軒を「お燈明銭頂戴」と廻って歩いた。

私も参加して初めて遠くの里を歩き「ここまでが上野地内か」と改めて思った。とにかく今まで親元を離れたことがないのに、ロウソクを灯してワイワイ騒いで神社内で一夜を明かす。

近くの農家の柿・みかん等果実を失敬し、交流を深めた。良家の息子は「不良行為だ」と禁止する家もあった。翌日の授業で居眠りをする子もいたので、「学業がおろそかになる」ので学校から禁止を言われた。
しかし、雑魚寝した翌朝には村人が、お祝いの赤飯を神様に持って来てくれるので、そのお裾分けにありつく。はるか昔の懐かしくも粗野な社会、然し村人の温かい気持ちに触れた人生の一瞬でした。

秋祭り



おこもり:庚申まちに似る