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おびしゃ(御歩射)
かつては2月11日(旧暦1月1日)に、鷲宮社殿にて甘酒を振舞ったが、現在は1月1日(除夜の鐘ととも)に行っている。

「おびしゃ」の解釈は、以下のようなものがあげられます。

1.歩射と書くように徒歩による弓矢の射勢であり、乗馬による騎射の反語。
 武家社会の流鏑馬に対する。
治にありて乱忘れずで往時の農民は、一旦緩急の際には伝来の具足に身を固め普段の恩顧に報ぜんと郷中の首領に従い戦場に赴いた。その平常の心構えが歩射といえよう。
 また一面、歩射により的を射て農作物の豊凶と世の吉兆を占いとした名残であろう。

2.凶作の場合、施粥といい寺社あるいは富農による粥の施しが変化したもの。
当地は天水田で天候により豊凶の差が歴然としていた。天明や天保の大飢饉は有名である。当地宝生院でも幼児への地蔵建立や墓石記載は他の年間よりも格段に多い。その際の食糧の施与が,このおびしゃにも関与しているだろう。(幸手、正福寺の記念碑に記載ある)

3.そのものズバリ「柄杓」をあらわす。昔、菰(こも)と柄杓(ひしゃく)を持って道中すれば、お伊勢参りでも無一文でも家々の喜捨施与を受けてお参りが出来た。
幕末の親子鷹勝海舟の父勝小吉は、お伊勢参りを貧乏の為に柄杓道中により達成した。

4.柄杓は女郎を表すが、寡聞なためその語源は不明である。

いずれにせよ、伝統行事の意味を考え、次世代に伝えることも伝統行事に対して意義あることです。古ヶ場や慈恩寺などもいつの間にか消滅しました。氏子・役員諸氏の献身が望みたいところです。


上野のおびしゃ:
神前に海や山の幸・米・塩・甘酒を供え、神主が祝詞を上げ新旧2人ずつの当番が向かい合う。

古い当番が三合入る盃に甘酒を入れて新しい当番がこれを七杯飲む。

おもに若い人がこの役をうける。